西 博康の北海道の想い出

(第1話 大通り公園は僕の庭)

第0章 プロフィールin北海道

西 博康 昭和34年11月19日 札幌生まれ
生まれた場所−琴似
琴似のことは、あまり覚えていない…
3歳―6歳までー北1条西7丁目(今のNTTがある当たり)
6歳―中学3年―南4条西27丁目(円山墓地の隣)
   円山小学校―向陵中学
高校時代―東区伏古10条1丁目(今の実家)
   札幌北高等学校

大学―大学院時代―室蘭市高砂町(大学まで徒歩2分)
   室蘭工業大学(建築)
清水建設に入社し、すぐ大阪へ。
26歳のとき、結婚。妻も北海道(室蘭)人。
子供が一人。関西風味の道産子??




第1章  大通り公園は、僕の庭
3歳―6歳までー北1条西7丁目(今のNTTがある当た
り)に住んでいた。

大通り公園が御幼少の頃の遊び場。毎日三輪車で、街
中を散策。

4歳の時の三輪車での行動範囲。
 東―テレビ塔〜創成川まで
 北―道庁〜札幌駅まで
 西―札幌地方裁判所(西12丁目)まで
 南―大通り公園を超えて南に行かないこと(親との約束)



今思えば、4歳の子供が三輪車で遊ぶには、随分広くて、
また危ないところで遊んでいたものだと思う。但し、創成川
を越えなかった。札幌駅の横の踏み切りを渡らなかった。
大通り公園を超えて、西には行かなかった。大通り公園の
中を南北に遊んでいる分には、許されていた。

大通り公園には、チュウリップ・すずらん・ライラックを初め、
四季折々の園芸が楽しめるのみならず、各種イベントが盛
り沢山。メーデー、音楽会、物産展、自衛隊の戦車が並ん
だり…そして雪祭り。1丁目から11丁目まで、四季折々、
退屈する事など無かった。しかし、4歳の遊び場が、札幌駅
前通りー札幌駅―植物園と1番や3番の路面電車が走って
いる幹線道路を含んでいた事は、親としても、眉を顰めてい
た。でも、道庁の池の廻りのまで、三輪車を転がすのは、楽
しかった。












そんなころ、札幌ラーメン(味噌ラーメン)の創始者―大熊勝義氏と知り合った。(ラーメンの熊さんー当時大通り西6丁目)。その大熊さんに私と同じ年の子供がいて、いつも一緒に遊んでいた。一度、親との約束を破って大冒険をした。三輪車を2台連ねてすすきのの当たりから山鼻線にそって、一路西へ。中島公園に向かったのだ。理由は簡単。親が、中島公園に連れて行ってあげると約束をしたのに、忙しくなって連れて行ってもらえなくなった。それで、じゃ、一人で行くと飛び出した。西日を浴びながら、山鼻線の電車の横を三輪車をこぐ二人。とうとうとっぷりと日が沈もうとしているが、まだまだ、中島公園は、遠い。「これじゃまずい、たどり着きそうも無い。」何処までいって引き返したかは、定かではないが、自分の家に戻りついたときには、当たりは当然、真っ暗。大通り公園までもどっと時に、顔色を変えていた兄貴に発見された。「いた−っ!、博康がいた−っ!」そのあと、どんなお仕置をされたかは、語るに及ばず…。其の頃の僕は、大通り公園の鳩と一緒だった。



この章終わり、次回は、円山原始林のリスと一緒だった頃の思い出につづく

         
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