西 博康の北海道の想い出

第2章 円山原始林のリスとお友達の頃

藻岩山より円山を望む(※)

 昭和41年、小学校に入学する間際、大通り公園の側から、円山に移った。あまりにも年度末だったので、大通りに住んでいた時の校区であった創成小学校と移り渡った円山小学校と両方から入学案内を頂いた。創成小学校は、明治3年開拓使が開いた仮学校から伝わる、伝統の学校。一方、円山小学校は、天保12(1841)年に現在の岩手県盛岡市で生まれた上田万平氏が、明治4年4月、31歳の時に家族と供に庚午三の村(同年5月に円山村に改称)に移り住み、円山村を立ち上げる中で、簡易教育所を設置したものが前身。

      


大通りから円山へ引越しした



円山の周辺には自然に恵まれた遊び場が沢山あった


「円山」とは、札幌の都心からわずか約3kmの所にある天然記念物の原始林。標高225.3mの小さな山ですが、冷温帯落葉広葉樹林として樹種が多く、山麓にはカツラ,オヒョウ林、中腹から頂上にかけてはミズナラ,シナノキなどが生い茂っている。

  円山の周辺には円山公園、北海道神宮、円山動物園が連なっており、小動物たちのオアシスとなっている。樹種が豊富なことから、生息する野鳥の種類も豊富で、ジュウカラやハシブトガラ、ゴジュウカラ、アカゲラ、コゲラ、キビタキ、オオルリなどがよく見られます。

   
円山公園                   円山公園の中にあるひょうたん池(※)


円山小学校の校区内には、その他、大倉ジャンプ競技場、宮の森ジャンプ競技場、円山球場、陸上競技場、荒井山市民スキー場などの各種スポーツ施設があったり、開拓時代から朝市で賑わいを見せた円山市場や、アンティークな店が並ぶ裏参道と言った街並みがある地域です。ゴールデンウィーク後半には桜の名所となり、5月はライラック、6月は北海道神宮のお祭りと話題には事欠きません。現在でも、円山から宮の森にかけては、札幌でも一番人気のある住宅地の1つです。都心からわずか3kmの所にそれだけの物がある場所、日本中何処を探しても無いことでしょう。

  
大倉山ジャンプ競技場                   円山動物園



 引っ越した先は、その円山の南麓。麓に、龍興寺というお寺があって、墓地の塀を隔てて隣でした。初めは、墓地というのが、少し不気味でした。夜になると、ヒュー、ピーと言う音が聞こえて来て、幼心ながら、眠れぬ夜を過ごしたことが有りました。後から解ったのですが、夜行性のトラツグミの鳴声だったのですが、闇夜に響き渡る様は不気味でした。

 小学生の私にとって、原始林と廻りを取り巻く自然には、全身で飛び込んでいって充分過ぎる環境でした。いつも公園や山の中で遊んでいました。木の根っこを穿り返して虫を探したり、円山川に沿って何処までも遡って行ったり、原始林の中に秘密基地を作ったり…。幸いに熊とへびがいません。だから安心して遊べたのです。


    
円山原始林登山道入り口  円山には樹齢の計り知れない樹木が散在している(※)

 円山には八十八箇所と言われる登山道があります。開拓当時、四国からの移住者によって観音像が集められ、四国の八十八箇所をモデルに作っております。今では観音像も200体以上あるそうです。大正4年に、円山八十八カ所入口に大師堂が建立され、弘法大師の像が祭られるようになりました。その後、境内には大日如来像、不動尊像、大師いろは歌碑や、開山碑などの仏像や石碑が立ち、大師が残した徳をたたえています。円山登山は、小学1年の私にとっては、結構きつい道程でしたが、登って行く道すがらがとてもわくわくして最高の楽しみでした。緑の香り、土の香りに包まれて山道を登って行くと蝦夷リスやシマリスが木々の間から顔を出します。その愛くるしい様がたまらなく好きでした。中学、高校になってもやはりこの山に登るのが好きで、バードウォッチングや野鳥の声の録音を行う様になったのも、円山の自然の恩恵です。赤ゲラ(頭の赤い小型のきつつき)が木をコッコッコッコッコーンと叩く音が山間にこだまする中、オオルリやキビタキの声を聞くのは最高の清々しさを感じます。


  
アカゲラ                    シマリス(※)

 山や公園では随分悪戯もしました。円山公園のひょうたん池に入り込んで、足中に蛭(ひる)が纏わり付き、血だらけになったり、円山登山道から円山動物園の裏に周り、金網をくぐって動物園に入ったり…。長さが50cmあるミミズを見つけて、びっくりしてミミズの穴に2B弾を放り込んで爆発させたり…。冬、雪の斜面に自転車を持ち込んで滑ってみて(でも、転んで)股間を思いっきり打ち付けてしまったり…。

   
杉の北限地と言われる林を流れる円山川(※)              円山登山口(大師堂)付近(※)


 小学校3〜4年の頃、円山の登山ルートやけもの道を知り尽くした私は、ただ登る事に飽き足らず、何処でもいいから、出発点を1点決め、何があってもただ垂直に絶対に曲がらずに道無き斜面を登ろうと決めました。友達3〜4人で初め、「よし、ここから登ろう、峰の登山道に出るまで真直ぐ行こう!」と登り始めました。熊笹が覆い茂るなか、斜面に足を取られ、熊笹に顔を切りながら、木の根にしがみ付き、どろどろに成って進み始めました。しかし、そのうち、仲間の友達が一人減り、二人減り次々断念して行きました。言い出しっぺの私は、遂に最後まで、熊笹の絶壁を木の根を掴みながら攀じ登り、遂に登山道まで辿り着きました。帰りはいつものけもの道を降りてきましたが、全身が痛くて痒くて仕方が無い。家に帰って、一緒にいた仲間が迎えてくれた傍ら、即座に丸裸になって、虫刺されの薬。それはおチンチンをも含め、全身百個所以上虫に喰われていました。痛くて痒くて、身動きが取れず、この遊びはもう二度と辞めようと心に誓いました。

((※):エゾリス通信の田中さん、資料のご協力有り難う御座いました)
エゾリス通信 http://member.nifty.ne.jp/ezorisu/index.html


円山山頂からの札幌の眺望(※)

         
前ページに戻る    「北海道を遊ぼう」へ戻る    NEXT





以下 広告

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送